【0章-1】些細なことから始まる「教室でのいじめ」と終わらない「教室の中の恐怖」

心の傷と回復


※この記事は、本編に入る前の
「第0章|公開プロローグ」としてお届けしています。

ここでは、解説よりも先に
「いま、心の中で何が起きているのか」を
物語を通して感じてみてください。


些細なことから始まる「教室でのいじめ」と終わらない「教室の中の恐怖」


チャイムが鳴る少し前
胸のあたりがきゅっと苦しくなる——。

そんな朝が、何ヶ月も、何年も続いていた子がいます。
ここでは、仮に「彩花さん」と呼ぶことにしましょう。

彩花さんは、いわゆる「目立たないタイプ」の子でした。勉強はそこそこできて、先生から注意されるようなこともない。クラスの中心にいるわけではないけれど、特別嫌われている理由もない——。少なくとも、本人も親も、そう思っていました。



状況が変わり始めたのは、小学校高学年の頃です。

最初は、ちょっとした「からかい」からでした。給食のおかわりをしただけで、「よく食べるね〜」「また食べるの?」と笑われる。それを聞いた周りの子たちも、一緒になってクスクス笑う。

「からかわれているのかな?」「でも、みんな冗談のつもりかもしれないし……」

そう自分に言い聞かせながら、笑ってごまかしていたといいます。ところが、いつの間にか、それは“毎日の儀式”のようになっていきました。

休み時間になると、数人のグループが彼女の机の周りに集まる。
「今日もおかわりするの?」「デブになるよ?」「そんなに食べると机が壊れるよ」——。

直接的な暴力ではありません。教科書を破られたり、殴られたりするわけでもない。
けれど、その場を囲む空気は、少しずつ、確実に重く、冷たくなっていきました。

やがて、廊下ですれ違っても目を合わせてくれない子が増え、体育のペア決めで、最後まで名前が呼ばれない日が続きます。「誰でもいい人〜?……、じゃあ、彩花でいいじゃん」そんな言い方で、消去法のように扱われるたびに、胸の奥に、小さな針が一本ずつ刺さっていくような感覚が生まれていきました。

この頃から、朝になるとお腹が痛くなる日が増えました。布団の中で「今日は行きたくない」と涙が出る。けれど、お母さんの「早く起きなさい」「遅刻するよ」という声を聞くと、「甘えてはいけない」「ここで休んだら、もっと行きにくくなる」と自分に言い聞かせて、なんとか家を出る——。

学校に入るとき、心の中でそっとカウントダウンをしていたそうです。
(あと6時間で終わる。あと5時間で終わる……)

1日が終わることだけをゴールにして、なんとか教室の中に自分を居させ続ける日々。放課後になって、校門を出る瞬間だけが、ほっと息をつける、唯一の時間でした。

しかし、そんな日が何ヶ月も続くと、「いじめられている」と自覚する前に、自分のほうが先に“慣れてしまう”ことがあります。


——こんなものだろう。
——私が我慢すればいい。
——私のほうが、空気を読めていないのかもしれない。


そうやって、自分の感じている苦しさにフタをする。それが、「生き延びるための知恵」になってしまうのです。



大人になってから、彩花さんはこう振り返りました。

「正直、“いじめられていた”って言葉を使うのも、最初は抵抗がありました。殴られたわけでもないし、もっと大変な人もいると思ったからです。でも、今振り返ると、あの頃の私は、“自分の感情を感じないようにする”ことで、なんとか教室に居られたんだと思います」

心のどこかを切り離さないと、その場にいられない。これは、いじめの現場で生きのびるために、多くの子どもたちが無意識に身につける「生存戦略」です。


けれど、この戦略には、大きな副作用があります。

それは——「自分が今、どれだけ傷ついているのか」にも、気づきにくくなってしまうということです。まるで、心の中が“麻酔”でしびれたような状態になる。痛みも感じにくい代わりに、喜びや安心も、どこかへ行ってしまう・・・。

周りから見れば、「ちゃんと学校に行けている」「成績もそこまで悪くない」「友達だっているように見える」そんなふうに映るかもしれません。けれど、本人の内側では、「自分は、ここにいてはいけないのではないか」という感覚が、少しずつ、でも静かに確実に、降り積もっていくのです。

そして、この“静かな蓄積”こそが、大人になってからの「生きづらさ」と結びついていきます。


会議で意見を求められたときに、急に頭が真っ白になる。
初めての場所や、新しい人間関係の場に行くと、身体が固まってしまう。
誰かに少し声をかけられただけなのに、「責められている」と感じてしまう——。

一見、仕事のプレッシャーや性格の問題のように見える、これらの症状。その裏側に、「教室での長期いじめ」の影が潜んでいることは、決して少なくありません。

いじめは、ただ「その場が嫌だった」という記憶では終わらない。心の中に、「人と関わることは危険かもしれない」という怖れを刻みこみ、後々の人生にまで影響を与える力を持っているのです。



この物語は
特別な誰かの話ではありません。

次の記事では、同じように
“見えにくい場所”で起きている
別の物語を見ていきます。



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岩永留美
心の傷を回復と成長の力に変える|逆説人生法則メソッド開発

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